CAPAのアウトドア&カメラ日記 山登り、サイクリング、カメラについての独断と偏見の趣味日記

最近の記事
EOS5Dに広角28…
12/28 13:45
Let’sNoteM…
03/23 19:42
BD-1が欲しい
03/05 19:31
Macintosh …
02/28 23:34
Let’sNote新…
02/24 10:01
最近のコメント
CAPAさん、黒ツバ…
誕生日 09/23 20:10
私の相棒も黒いALP…
黒ツバメ号 05/25 11:47
EVFといえばパナソ…
Lin 04/20 22:21
はじめまして。赤エル…
オリーブ 11/08 13:52
最近のトラックバック

NikonF4

再びNikonです。初めてのオートフォーカス一眼をNikonのフラッグシップ機にしました。35mmF2、50mmF1.4、60mmF2.8マイクロ、105mmF4マイクロ、70-200mmF2.8のAFレンズを揃えてガンガン撮りました。この頃は若かったので重さは気にならずに、いろんな所へ持っていきました。初めての台湾もこのフラッグシップ機をお供に持っていきました。このマシン台湾で道路に間違って落とし、ファインダーにヒビが入るというトラブルになりましたが、写真を撮ること自体にはまったく影響無くタフな奴でした。帰国してからのファインダー交換代金はとてもきつかったでした。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 21:53 | コメント(0)| トラックバック(0)

Rollei35TE

カールツァイスのレンズの魅力に取り付かれて、国産のヤシカコンタックスの後、手にしたのはコンパクトなローライ35でした。丁度山登りに持っていく時にコンパクトで、レンズの良いカメラが欲しくて選んだのが、このローライ35TEだったのです。しかも35TEはLED表示による露出計が内蔵されていて、大変使い易いカメラでした。コンパクトにするために随所に工夫がなされていて、メカニカルの臭いがぷんぷんしました。沈胴レンズ、底位置の巻き戻しクランク、NikonFと同じ底蓋がそっくり取れてのフィルム交換、操作していること自体が楽しくて、満足をさせてくれるカメラです。35TEのレンズはテッサ-です。HFTというローライ独自のコーティングがされているレンズです。写りの良いツアイスの名玉です。距離は目測であわせます。絞りをf8~f11にして、5mにピントを合わせてパンフォーカスで撮影をすることが多くなります。この目測ピント合わせがローライ35の欠点です。このコンパクトさには距離計は技術的にも難しく無理だったのでしょう。なおこのカメラはドイツ製ではなくシンガポール製でした。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 22:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

Contax139クオーツ

ヤシカコンタックスの、一番コンパクトな一眼レフが139クオーツです。このカメラは167MTのように自動巻上げではなく、巻上げレバーが付いています。とても端正な顔をした一眼レフだと思います。Contaxの泥沼に入り、167MTと2台体制にしたのでした。139を持つと、どうしても手に入れなければ為らないレンズがあります。かの有名なテッサ-なのです。45mmのパンケーキレンズです。これを装着するとコンパクトで扱い易く、しかも画は抜群という組合せになるのです。当時でも結構高かったという記憶があるのです。今まで使ったパンケーキはこのレンズと、NikkorAi45mmF2.8P、それにコシナフォクトレンダー35mmLマウントレンズです。しかしこのテッサ-が一番良かったように思います。139クオーツは結構デリケートで、使いこんでいくうちに調子が悪くなりました。もっとも中古で買ったものだったので文句も言えませんでした。調子さえ良ければ本当に良いカメラだったと思います。同じコンパクト一眼でも、堅牢性はNikonEMの方が良かったでした。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 12:57 | コメント(0)| トラックバック(0)

CONTAX167MT

ハッセルで写真を撮っていると、カールツァイスレンズの35mmが欲しくなってきました。ヤシカは1975年にCONTAXブランドで、一眼レフを衝撃的にデビューさせたのでした。しかし一眼レフはNIKONと決めていたので、横目に見ているだけで、カールツァイスレンズの味は未体験でした。ハッセルで体験した空の青さと抜けは、風景写真を撮っている私にとって衝撃的でした。ということで1987年に発売されて、最新鋭の露出機能と自動巻上げを持った、このモデルにしたのです。最新鋭の露出機能とは、ABC(オートブラケッティングコントロール)という、露出をアンダー、適正、オーバーと自動的にずらして撮影するというものです。SPOT測光と組み合わせて撮れば、光を活かした自分好みの作品が得られるのです。これに標準のプラナー、広角のディスタゴン、中望遠のソナーを付けてハッセルと組み合わせて良く撮影に行きました。このレンズには日本製とドイツ製がありました。高価で性能の良いドイツ製は買えずに、スタンダードな日本製で撮影しました。スタンダードといっても他メーカーのレンズよりかなり高かったでした。167MTのMTは、M=マルチモード、T=トリプルエクスポージャーの意味だそうです。北海道の美瑛を撮影し、拓真館で前田真三さんにサインを貰ったときに使っていたのは、ハッセル500CMと167MTのカールツァイスレンズコンビでした。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 11:11 | コメント(0)| トラックバック(0)

HASSELBLAD500CM

NikonF2の季節は1972年から1984年まで、ライカウィルス感染が1984年から現在まで、そしてカールツアイスとの出会いは1987年に始まります。近所の写真屋(記念写真+DPE)さんと仲良くなり、そのご主人がHASSELを持っていたのです。彼は80mmと150mmの二本で、記念写真の仕事をこなしてました。カールツァイスのレンズは写りが違うと会う度に言われて、HASSELの操作方法を教えてもらい、試し撮りまでさせ頂きました。私はこの写真屋のご主人にライカの良さの話をし、カメラをかしてライカウィルスを感染させ、私はカールツァイス病に罹りました。とうとう1988年の年が明けてすぐに500CMと80mmのプラナーを買いました。増えてきたライカや、残っていたニコンを下取りに出し、新品を買いました。35mmはライカ、中判はHASSELと、もうプロにも機材では負けない状態でした。6×6のスクエアーなフォーマットに魅了されて、奥日光御田代が原の伯爵夫人(こう呼ばれた白樺の木があったのです)を撮影のために、夜中に家を出て暗いうちから待機して、日の出に浮かぶ華麗な伯爵夫人を撮影したのでした。このHASSELBLAD500CMはボディ左面のレリーズフック取り付け孔が無く、ボディ底の三脚座のネジ穴は1つ、マガジンフックの形が頑丈になった最終期のものでした。今も風景撮影の勝負どころに活躍しています。前田真三さんみたいになりたいと思って、機材だけでもと思い、まねをしていました。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 08:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

ライカR4s

ライカウィルスの猛威は激しく、本来なら手を出さない一眼レフにも、手を出してしまいました。ライカの一眼レフはSLシリーズが正統なのですが、予算の都合と最新の技術ということもアリR4sにしたのです。ミノルタと提携したライツは、独自の一眼レフ開発を諦めて、R3はミノルタXEのボディを、R4ではXDのボディをベースに一眼レフを作っていたのです。デザインはかなり違いましたが、これもライツの意地ですかね・・・! このR4sにはワインダーを付けました。ズミクロン50mmの標準レンズ、最初から付いていたもので撮影を開始しました。M4Pは広角系、M3はf1.5のズマリット、バルナックⅡc改は標準のズマールでした。R4sが標準ではおかしいです。しかし手元が不如意です。M3用に買ったエルマーの90mmf4を、アダプター(OUAGOとRマウント用AD)を介してR4sに装着し中望遠の撮影は完璧です。ウィルスの進行はもう誰にも止められません。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 21:31 | コメント(0)| トラックバック(0)

バルナックライカⅡc改

私のライカウィルスが次に発病したのはバルナックライカでした。なぜ感染したかというと神話を読んだのです。Nikkor神話として有名なDDダンカンの話しです。日本製ゾナーニッコール85ミリF2レンズを日本光学で見て、大変気に入ってライカⅢcに装着したお話です。そして朝鮮戦争をNikkorで撮った写真がLIFEに掲載され、一躍世界の評判になりました。しかし実際に戦場へ行ったのは、ライカⅢcに着けた5cmF1.5と13.5cmF4だったのですが。私はライカⅢcのスローシャッター無しのⅡc、しかもシンクロ改造品に、Nikkor8.5cmF2を着けたのです。8.5cm用のファインダーも付けてご満悦です。このころはフィルムを鋏で切って装填しました。とにかくバルナックライカの軍艦部(本当に軍艦に見えるのです)が気に入って眺めてばかりいました。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 21:29 | コメント(0)| トラックバック(0)

ライカM3

M4Pを使って満足をしていたのです。しかし、ライカ関連の本を読むようになって、本物のライカはM3であると信じ込まされてしまいました。ここがライカウィルスの怖いところです。高輪の舶来中古店で初めて中古のライカM3に手を出してしまいました。使いこまれていて傷もアリそれなりに手の届く価格でした。たしか10万円を切っていたと思います。革のケースをサービスしてくれました。この頃はバブルの頃で、ライカの程度の良いものは、軒並み値が上がっていました。銀座の中古店の価格はとても買える価格ではありませんでした。そこで、この高輪の店に通うようになったのです。しかし、このM3はマウントが堅く余り使い心地が良くないので、数年後には別のM3になるのでした。2台目のM3もこの高輪の店で買いました。ライカメーターを付けて、35mm眼鏡付のズマロンや、同じく35mm眼鏡付ズミクロン8枚玉で撮影しました。このM3のファインダーが若干曇りがあったので、日暮里の大御所の所でクリーニングしてもらいました。このM3から日暮里の大御所のところへも通うようになったのです。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 17:36 | コメント(0)| トラックバック(0)

ライカM4P

初めてのライカがこの機種でした。新品を銀座のS商会で求めました。ズミクロン50mm/F2.0付です。NikonF2を下取りにして買いました。NikonF2と分れる辛さよりも、ライカと出会い自分のパートナーにするという、高揚した気持ちの方が強く出ていました。NikonF2は35mmのレンズフードを残して全て処分しました。M4Pはカナダ製でM4-2の後継機です。このライカを色々な所へ持っていきました。5月の積雪の剣岳登山にも持っていきました。露出計が付いていないので、リバーサルフィルムではよく露出をはずしました。レンズはズミクロン50mmから始まり。ズミクロン35mm、エルマリート28mmなど広角系を増やしていきました。この頃から銀座や新橋の中古カメラ店を、徘徊するようになりました。そして極め付けは高輪にあった中古カメラ店でした。ここからライカウィルスに感染していくのです。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 19:21 | コメント(0)| トラックバック(0)

ニコンEM

このカメラは海外旅行に行くときに、家人用に買ったのです。大変小さくて軽いものでした。ニコンが当事、女性をターゲットに開発したカメラです。フラッグシップ機はF3になっていました。F3と同じジュージアーロのデザインで、金属のボディではなく、エンジニアリングプラスチックを使用したボディでした。レンズも専用のシリーズEというレンズです。このレンズには露出計連動のカニ爪が無く、すっきりしたデザインのものでした。私がF2を持ち、家人がEMといういでたちでした。レンズも沢山は持っていけないので共用できる最小限で、ダブりの無いようにしました。旅行先のニュージーランドではマウントクック・タスマニアグレッシャー・ミルフォードサウンドの絶景や、クライストチャーチ・クィーンズタウン・オークランドの町並みを撮影しました。実は帰ってきた後、F2よりEMのほうが出番が多くなりました。露出はオートですし、軽くて小さいし、何処へ連れて行くのも、苦にならないカメラだったのです。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 07:25 | コメント(0)| トラックバック(0)

ニコンF2

高校生になって、いよいよ我が家でも一眼レフを買おうと、両親を説得して家族のカメラとは名ばかりに名機ニコンを買いました。このとき大変迷ったのがFにするか、F2にするかでした。Fの方が価格も安く名機の誉は高く、ニコンファンであればFにするかと思いました。しかしこれから10年以上使うとなると、Fの欠点を克服した、新製品のF2の方が良いに決まっています。悩んだ末、高かったF2を選びました。もちろんアイレベルのF2です。普通は標準レンズ付きを買うのが当たり前なのでしょうが、広角の35mmを買ったのです。一生モノの買い物ですので、事前にどれだけ本を読んだことでしょうか。今みたいにWebなんて無い時代ですから、情報収集も大変です。でも沢山の本を読むうちに、35mmのレンズが大変良いと思い込みまして選んだのです。このカメラと一緒に、サイクリングや山登りをしました。冬の氷曝登りにも行き、買ったばかりのフォトミックファインダーを壊したことも有ります。何年も懸けて、レンズは24mm、35mm、55mmマイクロ、105mm、135mm、200mm、500mmレフレックス 35-70ズームを揃えていきました。またモータドライブも装着して、プロカメラマン気取りでした。とてもお気に入りのカメラで、一生使うつもりでした。ライカ病に感染するまでは、世界で一番はニコンであると信じていたのでした。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 20:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

オリンパスペンEE

今日からシリーズで私のカメラ遍歴を紹介いたします。中学生の頃のお話から書き始めます。「オリンパスペンEE」1961年発売で一万円という低価格のファミリーカメラ、大ベストセラーになったカメラからです。このカメラは、ハーフサイズのカメラで、36枚撮りのフィルムで72枚撮れるというものでした。銀塩特にカラーネガフィルムが、高かった時代に沢山撮れることを売り物にした、経済的なカメラでした。このカメラしか家には有りませんでした。家族旅行や学校行事など記念行事には欠かせず、大活躍したのです。中学生の頃のサイクリングにお供したの、もこの小さなカメラでした。固定焦点で杉林の中で写真と取ったら、手前の木に焦点があたり、被写体がボケボケになったのを覚えています。使っているうちに「もっとピントがちゃんとしたカメラが欲しい」と思ったのでした。ちょと前に「バカチョンカメラ」と良く言われたカメラのはしりがこのカメラでした。とにかく早く良いカメラが欲しいと思うようにさせてくれたのでした。これから私のカメラ遍歴が始まるのです。
カメラ遍歴 | 投稿者 capa 00:32 | コメント(0)| トラックバック(0)
<<  2008年 12月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
ホビダス[趣味の総合サイト]